ソシャゲが遊べない

オタクって傍から見たら何を気にしているのか訳の分からないような偏屈な拘りがあるものなのだが、それは自分にもあって、例をあげるとすれば「シリーズ物の作品を追う時は極力作中世界の時系列順に観る」というもの。時系列順で観ると、本編の前日譚的な話を先に観てしまい、理解するのが難しいのであまりお勧めされるものではないのだけど、それでも時系列順に観ようとするのは、理解云々以前に自分はその物語の世界への没入を重視しているからだろう。自分の中では詳しい理解なんて見てる最中にできなくとも後からゆっくり続きの作品を観て理解していけばいいものだと考えているので、それよりも描かれる世界観の中に入っていきたいという意思からのものだ。「そんなの観てて面白いの?」と思われるかもしれないけれど僕なりにはそれが一番楽しめる視聴方法なのである。

それと似たようなお話で僕はスマホゲー、の中でもいわゆる「ソシャゲ」と言われる分類のゲームがプレイできないという”拘り”がある。これには二つ理由があって、まず一つ目はシンプルに僕がソシャゲにハマってしまった場合、恐らく際限なく時間とお金が溶けていってしまうだろうという予見故。僕は脳内で感じる快楽を我慢するためのブレーキの効きが極めて弱く、一度ソシャゲのガチャやらなんやらで脳内麻薬を浴びてしまうと、もう一度、もう一度…と永遠に快楽物質を求めてしまい、終わりがなくなってしまう。そこで代わりに浪費するものが時間とか体力とかだったらまだいいのだが、(実際、一時期ポケモンの色違い厳選にのめりこんで無限に時間を費やしていた時期があった。)大抵のソシャゲで要求されるものというのは所謂石、つまり課金アイテムだ。一度課金して出したガチャの当たりから得られる快楽物質を得てしまえば、あれよあれよと財布の中身がゲームに吸われてしまって結果目も当てられないことになってしまうというような未来が容易く想像できてしまうのだ。それは自分が考えた時非常に困る。だけど中途半端に欲望を我慢してプレイし続けるというのも気持ちの良いものではない。なので予めプレイを制限して自分を戒めている。

もう一つの理由というのが自分がゲームの「主人公」となってストーリーに介入するということに強い抵抗を覚えてしまうから。僕が好きなソシャゲに(やってないけど)ブルーアーカイブというものがある。多分自分がキヴォトスという学園都市の先生になって、色んな生徒と交流を深めて…みたいなストーリーなんだと思う(ツイッターと音madでしか知識を得ていないにわか)のだが、この「自分が先生になる」という点において僕はひどく重い責任と、こんなカスみたいな奴が先生になる生徒が可哀想という考えのせいでブルーアーカイブのストーリーを追いたいという思いがあるにもかかわらず、それを実現できていない。なんかツイッターを見る限りすごく面白そうなストーリーをしているのにそれを自分の目で確かめられない、かといってネットの実況動画とかプレイ記録とかを見るのはそれはそれで自分以外の思考や選択が混じってきて純粋に楽しめないからできるだけ見たくない(でもあまねく奇跡の始発点だけはどうしても気になって仕方なくブログを読んじゃった)。なので我儘な話なのだがソシャゲ原作をアニメか漫画か映画か小説か、何でもいいから自分が第三者として俯瞰するような立場から見れる形で出してくれとずっと願っている。いや、ほんとに自分でプレイすればいいだけの話なんだけど。だから今期放送してるブルーアーカイブ The Animationはとても楽しく観させてもらっている。1話の時点で、インターネットの断片的な情報だけで止まっていた生徒たちについての情報が埋まっていって満足。この調子で原神とかポケマスとかのソシャゲも何らかの媒体で配信してくれたらウレシイ…。まじでゲーム本編やれとしか言われないだろうけど。それができない頑固なオタクを許してください…。

ちなみにブルアカだと鬼怒川カスミちゃんのキャラが性癖に刺さってて好き。

↑かわいい